顎から滴り落ちる血がダークグリーンのワイシャツを転々と斑にしていた。
その日はゴドーさんが帰り掛けに体調を崩して、ぼくの家
(と言っても狭いアパートだから部屋みたいなもんだ)
に泊まってもらった日の翌日だった。
ふらふらしながらも「キメる時はキメる・・・・それがオレのルールだぜ。」
とか言いながら、身だしなみを整えるべく洗面所に消える姿を見送った。
病院に行くのにそんなきっちりする必要あるのかな、とは思ったけれど
ぴしっとした格好をすると身が引き締まるって言うし、
いいのかもしれない。
「まるほどう。バンドエイドはあるかい?」
簡単な朝食を作っていた手を止めて振り返ると、
驚いてしまった。
思わず、フライパンに落とされた二個目の目玉焼きに殻が入る。
赤が見えていないからといってもほどがある。
顎からなんでか知らないが盛大に血が流れていた。
ワイシャツはところどころが黒く染みが出来、
手元が覚束なかったから絞めてあげた白いシルクのネクタイは
綺麗に汚れてしまって捨てるしかなさそうだ。
コンロの火を切って、だらだらと流れる出血にティッシュを当ててから
常備してあるオキシドールとバンソコウを探す。
怪我をしてもほっといてしまう。
その度に傷が残ったらどうすると言われるけど、バンソコウなんかで
済むなら蒸れないように出していた方が治りが早いのだ。
オキシドールは早くに見つかったけど、余り使わないバンソコウの
場所がわからなくて思ったより時間が掛かってしまった。
「すいません、大丈夫ですか。ゴドーさん。」
ゴドーさんは顎のラインを蔦って咽元に落ちる血が気持ち悪いのか
顔を顰めながらティッシュで血を拭っていた。
凝固してきた血でティッシュが貼り付いてしまっている。
ボールで汲んだ水で粘液めいた糸を引く血を拭いながら
剥がしていくと、何箇所もの小さな傷が出来ていた。
格好がつかないバンソコウで無理やり止めても止まらない。
すぐに粘着力が切れたのか落ちそうになる。
「何があったんですか?」
洗面所に入るまでは少し顔が赤らんでいただけで。
(何か見逃していたんだろうか・・・・)
「・・・・・・・・・・・・・クッ。」
「クッ・・・・・・・・じゃわかりませんよ。」
ぼくが裁判中に考え込む時のように顎に指を当てて滑らせる。
いつもなら同じ男(今は女だけど)でも癪なくらいサマになる
仕種もバンソコウと変な風に剃れてしまっているヒゲの
おかげさまでキメられなかった・・・・むしろヘンだ。
「傷は男の勲章だぜ。」
「そりゃあそうですけど。」
―――出血部位は主に髭の部分で、妙な点のようなキズだった。
傷の大きさの割りに出血は酷くて、
本人もやろうとしたものではなく、不意。
現場は洗面所。
置いてあった刃物はハサミと・・・・・・・・。
そういうことか。
「でも、カミソリ負けは名誉の負傷じゃないですよね。」
アンタの家にちゃんとしたのが置いてないのがいけないのさ。
と顔をプイっと横に向けるゴドーさん。
ぼくも同じ事しちゃったら恥ずかしいだろうな。
とは思うのだけれどやっぱり顎下のバンソコウの目が行ってしまって
見ていられなかった。
あごひげ
(beard n.)
ある人には感銘をある人には失笑を感じさせる
通常髪の毛とは真逆に無かったことにされることが
多い器官。
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