長年付き合いがあると言うのに、呼び方と言うのはかわらないもので。
親しき仲に礼儀ありなど考慮している訳ではなく、
ただそういう雰囲気なのだ。
二人の間を流れる空気は、ウェットよりはいいがドライだ。
他の人から見ると除湿機が必要のように思えるが、当人である
彼と私の間にはそのような関係は望んでないので、
友人以上であるが親友ではなく、親友と言うと
「やだなぁ、僕達悪友だろ?」と言われるので自分も
「そうですね。」と流すことに決めた。
二人の間に付けられた名称が変わったからと言って変わるような
人間ではないのだ。
二人とも。
それに「親友」と言うのを真面目腐って言えるほど若くはなかった。
相手への嫌がらせに言うことは出来ても面と向かって言うとなると
唇の端がむずかゆさから震えた。
誤解されないように、誰に対してかわからない弁明だが、述べておくと。
顔を合わせては互いを貶し合うような屈折した関係が保つことを
通りがいい「親友」で表現することに笑いを禁じえなかったからだ。
元々普通に生活していれば合うことはないので、久しぶりに会った。
それでいて全く日常生活に支障がでない、精神にもなんら問題ない、
と言うのは友人であってもいいものか謎に思うが、
それでも繋がっていると言うことから仲が良いと言うのか。
なんとも言えないし、他の人に意見を求めるにしても
この年になって友情を鑑みるなど気恥ずかしい。
まだ色恋沙汰の方が気が楽と言うものだ。
だからどうだと言うのだろうか?
と考えるなら考えなくともいいものを考える。
そうであっても表面上は私はどうやらどの久しぶりに会った友人、
知人に対しても久々にあった気をさせない行動をとるらしいので、
こちらがこんなにどうでもいいようなことで頭を悩ませているのは
勘づかれていないはずだ。
感情表現が苦手なことを感謝する数少ない機会だった。
二言、三言。
近状を交す。
そこで話は最初に戻る。
私は彼を苗字で呼んだし、彼も私を苗字で呼んだ。
それは会った当初もそうで変わらない。
関係が変わった今でも、なんら。
ただ、それを唐突に不思議に思ったのだ。
今の今までまったく疑問に思わなかったのに。
憶測はついている。
離れている間にどうやら視野が広がったのだろう。
その世界は違えど。
一般的なものの定義も過程も弁えていた。
しかしそれを合わせると言う処世術に熱心でなかっただけで。
・・・照れくさいものがあった。
今更過ぎるのだ。
言ってみようと試みて、何度か口を開くが
緊張のあまり胃液が込み上げるような苦さが喉元に競りあがる。
それは彼も同じようで互いに暫し沈黙。
柄ではないとなんでもないことに対して生じる神経の張り詰めに
憤りを覚えた、同じように唐突に。
「私は、あなたのことを名前で呼ぶなんて反吐が出ますよ。」
「僕も、君のことを名前で呼ぶなんて虫唾が走るよ。」
申し合わせたような、その即妙の返答に。
知らず、口元に笑みが浮かんだ。
見れば彼は私と違って容赦なく正直に非常にいい笑顔を浮かべていた。
と言う話を別の友人に語ると。
精神を疑われたが、その疑いは最もである。
何せ彼と私は今でもいい「友人」であり良き「悪友」だ。
そして「親友」ではないことは満場一致の見解のよう。
「何で(友達を)やってるのか?」と問われるが。
補足として、その問いに対する答えは出ていない。
そもそも実録はマンガ向きですよね。
・・・・・・・・・・・・絵はまったく書けない人間です。
今回どこからどこまでが本当?
と言うところですが、ほぼ全部実話に基づいてます。
CAST
弁護士 煩蔵
ピアニスト と或る友人(悪友)
違うところは苗字で呼び合う。
ですね。
正しくは【ちゃん付けで】呼び合うです。
名前+ちゃん。
結局呼び捨てではありませんでした。
これからもそうで、今は【苗字】で呼び合ってます。
タイトル【言葉で語らう】は【拳で語る】から。
あの≪反吐が出る≫と≪虫唾が走る≫はほんとにほんと。
人間性は疑っても仕方がありません。
自分が最初にふっかけましたが、即座に応じた友人に
「言ってくれる。」とか「やるじゃねぇか。」と間違った方向に
友情を感じたのは本人に伝えてはおりません。
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